フリー・チャーチ牧師・田崎の部屋

牧師・田崎敏明の日々の徒然日記

出来が悪く、歩みののろい私。

私は実に出来の悪い、そして歩みののろい男です。これは自虐でもなく、痛い謙遜でもなく単なる事実です。(このことについては、どうのこうのコメントしないこと…笑)


キリスト者になった後でも、ずっと「自分の信仰が全て正しい。他のキリスト者は間違っている。それどころか、他のキリスト者は救われているかどうかさえ怪しい」と思うような超高慢な男でした。そして当然すぐに人をさばく男でした。
それで、ありがいことに神様から実にいろいろな懲らしめを受け、倒れたり起きたりしながら、今のような私になりました。ありがたや、ありがたや。


だからあんまり偉そうなことは言えない男なのです。(エッ、言ってる?)


そして、同じように出来の悪い人達とゆっくりとこの人生の道のりを歩き、少しづつ少しづつ成長するようにと神様から仰せつかっています。
出来の悪い方、どうぞよろしくです。


立派な人のフリを止めると、神様が働いてくださるよ。


神様の力は私の弱いところに働くと聖書に書いてあります。
立派なフリをやめて、まずは本当の自分の姿を謙虚に認め、神様により頼む時、神様の力が私を通して溢れ出始めた!




2024年3月10日 フリー・チャーチ礼拝会 「立派なキリスト者のフリは止めよう。フリを止める時、神様の力が働き始める!!」

壁の向こうにいる人

ある時の人生相談の電話。途中で激しく罵られて、ガチャンと電話を切られてしまいました。そしてそのうちまた同じ人から電話があり、今度もまた同じ展開になるのかなぁと思いつつ話を聞いていました。
するとその時は、話の流れで相手の趣味の話となり、少し和んだのです。
するとその人はこう言ったのです。
「…本当は…神様を信じたいんです…」
激しい言葉や、憎たらしく思える態度の向こうにあるその人の本当の心を思いつつ接してあげられると素敵ですね。
人は、この厳しい社会生活の中で自分を守って生きて行くために、多かれ少なかれ人との間に壁を作っていると思います。それは致し方のないことでもありますね。
でもイエス様は、その壁をトントンと静かに叩いて、壁の向こうにいる本当のその人の心に向かって話し掛けようとしておられるのだと思います。
私もそうしたいのです。


ほんとは言いたくない告白

これは教会の礼拝会の説教中に告白したことです。


私は時間を見つけては、九州内トラクト(キリスト教のチラシ)配布をやっています。(今は寒いのでお休み中)


だけど私は本当はトラクト配布は好きではないのです。たとえば、配布中に家から人が出て来たらどうしようかと思ってヒビってしまうのです。実際、庭先に人がいたら、そこはスルーして次の家に配布したりです。だから一軒一軒欠かさず全世帯に配布していらっしゃる方々には尊敬しかありません。


ところがです。そんな私がビクビクしながら家を飛ばし飛ばし配ったトラクトでも、それを読んでイエス様を信じた方達や教会に通い始めた方々か実際にいらっしゃるのです。だからビクビクしながらでも配り続けているのです。なんとかイエス様に出会って欲しいという一心です。


またもう少し暖かくなったら九州内配布に出かけます。
これまでは車中泊でしたが、これからは年齢も考え、半分は安い宿に泊まることにします。ボチボチでも、それを神様は用いてくださいますね。


ピンからキリのお話

「ピンからキリ」という日本語がありますね。最高のものから最低のものまで有るという意味です。


実はこれは、ポルトガル語から来た言葉と言う説があります。ポルトガル語で点や「一」を意味する「pinta」、十字架や十字形を意味する「cruz」がそれぞれ変化して「ピン」「キリ」となったそうです。


最低を表すキリは、十字架のことです。
十字架は、この世の最低のものです。


最低な私のために、イエス様が身代わりに最低の十字架に掛かってくださった。
その前にひざまづく以外ありません。有難いことです。