フリー・チャーチ牧師・田崎の部屋

牧師・田崎敏明の日々の徒然日記

初めの愛

親は子供が生まれると
「この子がもうただ元気でいてくれたら、ほんとそれだけでいいわ~」
と思うものです。
ところが(笑)、4,5年も経つと、その元気に遊び回っている子供を捕まえて、
「もっと勉強しなさい!」
「もっとしっかりしなさい!」
「もっと早くしなさい!」
「もっと普通にしてよっ!」
と、「もっともっと」と要求し始めるものです。もちろんそれも愛しているからではあります。
でも初めの愛は「もっともっとの愛」でなくて、「そこにいてくれてありがとう」という、その存在そのものに対しての愛だったはずです。
もっともっとと要求する愛があります。一方、今のありのままを受け留める愛もあります。
イエス・キリストの愛は、今のありのままの私を受け留めてくださる愛です。そしてそれから私を日々成長させてくださる愛です。


■「あなたのためだったら私、死んでもいいわ~~」
と言っていた新婚時代の初めの愛。
しかし、4,5年も経つと、
「あんたのためなんかに死んでたまるもんですかっ!!」
となる。あっ、それはまた別の問題か…(笑)


人に何かを押し付けない

聖書の言葉は誰が読もうと全く同じですが、その実生活への適応の方法と難度は、それぞれその人が立つ環境などによっても違うと思います。


たとえばの話、これはちょっと誤解を招くかもしれませんが、牧師という立場は、ある意味で信徒の方々よりも信仰生活が送りやすいということはあると思います。
私など、教会まで歩いて約10歩ですし(笑)


また「あなたのその環境下では簡単に出来るだろうけど、私のこの環境の中では、やろうと努力していますが、なかなか大変なのです」ということもあるでしょう。


だから、人が何かを出来るように励ます時にも、その人の今の立場をちゃんと考えて、自分のやり方を一方的に押し付けないこともまた大切なことだと思います。


自分のペースを守ろう

人生、自分のペースで歩くのが一番良いですね。そして自分のペースを人には押し付けないのも大切ですね。  by歩ののろい男より。


出来が悪く、歩みののろい私。

私は実に出来の悪い、そして歩みののろい男です。これは自虐でもなく、痛い謙遜でもなく単なる事実です。(このことについては、どうのこうのコメントしないこと…笑)


キリスト者になった後でも、ずっと「自分の信仰が全て正しい。他のキリスト者は間違っている。それどころか、他のキリスト者は救われているかどうかさえ怪しい」と思うような超高慢な男でした。そして当然すぐに人をさばく男でした。
それで、ありがいことに神様から実にいろいろな懲らしめを受け、倒れたり起きたりしながら、今のような私になりました。ありがたや、ありがたや。


だからあんまり偉そうなことは言えない男なのです。(エッ、言ってる?)


そして、同じように出来の悪い人達とゆっくりとこの人生の道のりを歩き、少しづつ少しづつ成長するようにと神様から仰せつかっています。
出来の悪い方、どうぞよろしくです。


立派な人のフリを止めると、神様が働いてくださるよ。


神様の力は私の弱いところに働くと聖書に書いてあります。
立派なフリをやめて、まずは本当の自分の姿を謙虚に認め、神様により頼む時、神様の力が私を通して溢れ出始めた!




2024年3月10日 フリー・チャーチ礼拝会 「立派なキリスト者のフリは止めよう。フリを止める時、神様の力が働き始める!!」