フリー・チャーチ牧師・田崎の部屋

牧師・田崎敏明の日々の徒然日記

蟻の街のマリア

6年ほど前かなぁ、東京のカトリック潮見教会を訪れました。「蟻の街のマリア」と呼ばれた北原怜子(さとこ)が働いていた蟻の街にあった十字架を見るために。今、その十字架は、カトリック潮見教会の玄関に保存されてあります。
初めは彼女を白い目で見ていた浅草のヤクザなオヤジ達も、彼女の言葉ではなく、行いをみて、イエスキリストを信じてキリスト者になって行きました。



【興味ある方は下記もお読みください。私の思いです】 


戦後、貧しい地域で、子ども達のために献身的に奉仕し「蟻の街のマリア」と呼ばれ、カトリックの尊者でもある、北原玲子(さとこ)。
彼女は、とてもおもしろい(あっ、失礼)女性だと思います。本当にお嬢様育ちで外見もお嬢様。しかし中身は…笑
気が立つと蟻の街の子どもたちと、本気で喧嘩していた女性。子どもたちの悪さにいじけて3時間も、草むらに隠れていた女性。ドラム缶のお風呂場で、子ども達が騒いで言うことを聞かない時、しゃくにさわって皆にホースで水をぶっかけていた女性。しかし、これぞと思ったら、回りの目も気にせず突進して行った女性。



また、彼女は、「…しかし、これは私のほんとうの気持ちではなく、意地悪が少し、いいえ全部を占めていたのです。同じ仕事をひとりでやりとげたい、結局私ひとりだけが褒めてもらいたい、2人でやることになると、何か競争しているような、気がいらいらしてどうにも止めようがなくなる癖があります。その時も丁度その癖が、私の頭の中に持ち上がってきました。私のこの闘いはいつまで続くのでしょう!…」等も手紙に書いています。純情ヤンキー娘なのですね。
でも、蟻の街の子ども達は、そんな彼女に癒され、励まされて行きました。
しかし後に、蟻の街での働きが社会から関心をもたれ、「蟻の街のマリア」と賞賛され始めた時。彼女は、それに反発しつつも、心の中でひそかに喜びを感じている自分を見て、葛藤します。
そして、なんと自分のことが書かれた新聞や雑誌の切抜き、それまでの自分の記録を全て焼き捨て、静かに蟻の街を去るのです。
その姿を見て、それまで玲子といろいろと対立したりもしていた蟻の街の責任者の松居もカトリックに入信して行く…
彼女は、私が生まれた翌月1958年1月、28歳で、天国に上って行かれました。


小さな学校の離任式

一昨日は近くの小学校の先生の離任式に参加させていただきました。


郊外の全校生徒13名の小学校です。今回10名の先生方のうち6名が離任でした。(例年よりも多い) 大人も子供たちも涙でした。


「この学校に来て、いろんな動物たちとも出会えました。海外の動物と思っていたアナグマとも…」
「優しい皆に助けられました…」
「みんなはこれが普通と思っているかもしれないけど、ここは本当にみんなが仲の良い学校です」
「ここに来れて本当に幸せでした…」等の先生方のお別れの挨拶に笑いと涙。


最後、離任される先生方の退場の際は、子供たちみんな号泣…。
心洗われました。


新学期からは私も新たに小学校の放課後ボランティアとして、子供たちと接します。
「こどものようにならなければ」と語られたイエス様の言葉を噛みしめながら、子供たちからもいろいろと学ぼうと思います!


誤解で批判される時

こんな牧師なので(どんなだ)ネット上でもよく批判される。友達の進藤龍也牧師ほどではないが(笑)


批判される時って、ほとんど私の投稿の一部分や言葉尻を切り抜いて、私が言ってもいないことを言ったことにされ、主張してもいないことを主張したことにされて批判される。
そんな時はネット上で弁明しても「ああ言えばこう言う」になるので、仕方ないので「電話ででも直接話をしよう」と提案するのだが、これまで直接の話し合いに乗って来た人はただの一人もいない。私、優しく話してあげるのにね(笑)


こんな時思うんだよね。誤解されののしられ、ただ黙って十字架に上って行かれたイエス様のことを…。


人生に追い込まれた時

人生は実に苦難の連続で、『もうイエス様しか頼りにならない…』というところまで追い込まれる。
でも、キリスト者にとっては、それもまた実はありがたいことだったりする。

桜は自分が咲きたい時に咲く

人はみんな自己中心だから、「〇月〇日に桜が満開になってくれたら良いなぁと」考え、そうならなかったらガッカリする。
だけど桜には桜の都合というものがあって、自分にとって一番良い時に咲くのだ。
人も同じ。自分の都合を人に押し付けないのが良いのだ。